市民自治をめざす神奈川の会
■1985年・・・市民自治をめざす神奈川の会の誕生
生活クラブ生協の組合員が中心となって行った「合成洗剤追放対策委員会の設置および運営に関する条例」の直接請求運動(1980年)から「議会に生活者の声を出す人を送ろう」「政治的代理人をつくろう」と気がついた意思ある神奈川区の組合員が市民自治をめざす神奈川の会を結成
同時に、市民の声を聞いて「市民からの100の提案」をつくるために「市民要望調査」を行いました。
■1986年・・・横浜市議補欠選挙(神奈川区)にチャレンジ
カンパや公園などでのバザーで300万円の資金を作り、神奈川区市議補欠選挙の蟹沢道子を擁立。初めての選挙にもかかわらず、8,824票を獲得。
生活クラブ生協が運動として取り組んできた資源回収やダイオキシンの削減、助け合いのしくみの提案などの「市民政策」に共感が得られた結果でした。
■1987年・・・統一地方選挙で蟹沢道子を横浜市会に送り出す
前年の補欠選挙をてこに、「安心して住み続けられる街に」を掲げ、市民要望調査結果をもとに、福祉政策、ごみ、環境政策などを必要性を訴えた。「カンパとボランティアの選挙」の勝利が根付きはじめました。
■1988年~1989年・・・福祉クラブ生協の助け合いのしくみを作ることを支援
神奈川区が市内で4番目に高齢化が進んでいることから、助け合いのしくみの必要性の賛同した意思ある人々を支援し、1990年福祉クラブ生協家事サービスワーカーズ・コレクティブ絆、世話焼きワーカーズ・コレクティブこすもすが設立
■1991年・・・蟹沢道子を市議2期目に送り出す
助け合いのしくみを実践し「街づくりに責任を持とう」という生活者市民と共に活動していることを評価されました。
■1992年~1993年・・・「議員2期8年交代」を自分たちで決める
神奈川ネットワーク運動からの提案でしたが、自分たちで時間をかけて議論。
「市民の政治参加を拡げる大きな実践」を会員で合意
■1992年~1993年・・・神奈川区の街を車椅子で調査
■1993年・・・医師への高齢化社会についての意識アンケート調査
市民への医療・福祉についてのアンケート調査
■1994年・・・横浜市で最初の「シニアりぶいん」である「福祉マンション
ラ・クラッセ」の建設のための「福祉マンション研究会」に参加
1994年・・・横浜市議補欠選挙にチャレンジ
チャンスを生かし、議員の2期8年交代の成功に向けて、チャレンジ。
工藤恒子を擁立
■1995年・・・神奈川県議に蟹沢道子を、横浜市議に工藤恒子を送り出す
市民自治をめざす神奈川の会の実績と「議員2期8年交代」で市民政治を拡げていくというチャレンジを評価された
■1995年~1996年・・・神奈川区の防災を市民の視点から調査し、
「防災マップ」を作成
■1997年・・・「神奈川まちづくり協議会」の発足を支援し参加。
神奈川区内で活動している生活クラブ運動グループで立ち上げ、「年をとっても、障害を持っても住み慣れた街で暮らし続けられる街」の実現に寄与しようと活動を開始。
同時に福祉クラブ生協食事サービスぽてとの活動・事業の開始を支援。
■1995年~・・・ミニ・フォーラム運動を始める
街の中での「困ったこと」の解決に向けて、関係者が集まり、知恵を出し合い、行動していく運動です。 こちらをクリック
■1999年・・・蟹沢道子を県議2期目に、工藤恒子を市議2期目に送り出す
1999年・・・「なくせ!ダイオキシン汚染監視運動」に参加
「松葉」の検体集めをしながら、費用捻出のためのカンパ活動にも参加
1999年~・・・教育相談、保育室「ぴよぴよ」の開設
元横浜私立中学校校長の方をカウンセラーに学校関係や不登校などの相談に対応
母親のリフレッシュの場、交流の場としての保育室の開始。一日預かり保育も実施
■2000年・・・「NPO法人WE21ジャパンかながわ」の設立支援
「リサイクルショップからアジアの女性たちの自立支援を!」に賛同し、神奈川区でも活動しようという女性たちを支援しました。
■2001年・・・保育室「ぴよぴよ」から子どもミニデイサービスの立ち上げ支援
障害のあるなしや親の就労形態にかかわらず、子どもが共に育ちあう場を提供し、「顔のみえる子育て・子育ち」をめざして活動する方々を支援。
■2002年・・・市議補欠選挙で、当選
議員2期8年の交代を見据え、チャレンジ。1位で杉山典子が当選し、神奈川区で同時に2人の市議を送り出す。
2002年~・・・「神奈川区で参加型福祉施設をつくる会」の活動に参加。
「神奈川区の福祉に使ってほしい」という市民の寄付を活かすべく、活動した仲間たちを支援。その後、「カントゥ・西寺尾」(24時間見守りつきマンション)「ラポール西寺尾」(高齢者デイサービス、グループホーム)の事業に発展。
■2003年・・・統一地方選挙で市議の当選、県議は残念ながら当選ならず。
蟹沢道子の県議2期8年の任期、工藤恒子の2期8年の任期の次の人として、県議候補には、神田光枝、市議候補には、杉山典子を擁立したが、市議の当選にとどまった
2003年・・・県議の退職に伴う功労金制度の廃止を訴え、蟹沢道子前県議に支給された100万円を返還。県知事への要望書提出、街頭活動も同時に行い制度の廃止の実現に寄与。
■2004年・・・市議杉山典子が市民自治をめざす神奈川の会を脱会。
「市民自治をめざす神奈川の会と考え方が異なる」として、5月に会を脱会。
2004年・・・議員年金廃止の署名活動を行う
■2005年・・・「コミュニティ・オプティマム福祉マネジメントユニットかながわ」の活動と連携し、福祉の街づくりの着実な実現に取り組む
■2006年・・・「憲法を考える連続学集会」の開催
憲法改定の動きに不安を持った市民の声から、まずは憲法を基本から知っていこうと学習会を重ねて行う
■2007年・・・「企業、団体献金を廃止し、個人寄付を拡げる」制度改正を求める署名・街頭活動を行う
■2008年・・・「食の安全・安心プロジェクト」の活動開始
■2009年・・・「食の安全~食に環境を変えるのは市民の実践」の連続講座を実施
2009年・・・「中学校の歴史教科書問題を考える」フォーラムを開催し、
署名活動、アピール活動を行う
■2010年・・・「女性と若者の働き方調査」活動を行う
女性の問題であった非正規雇用が若者にまでおよび「働き方」の格差が広がっている深刻な状況を踏まえ、働き方の意識調査を実施