常識に囚われない若者にエールを!
当会のメンバーが、息子さんの住む九州に引っ越しました。その息子さんの半生がとてもユニークで、私たちの活動ともリンクするので、月例の政治カフェでお話しを聞きました。
現在40代のAさん、高校卒業後にオーストラリア、エジプト、ヨーロッパなど、単身でバックパッカーの旅行をし、その旅の先々で友人ができました。旅先でジャガイモに当たり「このまま死んでしまうのかな」と思ったこともあったそう。そんな旅を経験して、一番大切なものは”食”であると感じたそうです。
そして結婚して千葉で自給自足を目指して生活していた時、東日本大震災が起りました。お子さんが生後まもなくの時でした。千葉には福島の原発から大量の放射能が飛んできたそうで、小さいお子さんを連れて、放射能から逃げるように西へ西へと車を走らせ、震災の3日後、到着したのが九州でした。
そこで地元の男性に声をかけられました。「千葉ナンバーの車でこんな遠くまで何しにきた?」Aさんは正直に放射能から逃げてきたと答えました。するとこの男性、原発の設計者だったそうで、ご本人も「大変なものを作ってしまった」という自責の念が強く、九州で隠居生活的な日々をすごしていたとのこと。そして、深い謝罪を受け「空いている家があるからそこを使って良い」と小さなお宅を貸していただいたそう。
そこから九州生活が始まり、閉鎖したホテルを借りて営業開始。昔馴染みの友人が「都会に疲れた、もっと人とじっくり関わる仕事がしたい」と多数駆けつけてくれて、営業は軌道に乗ります。しかし、ホテルのオーナーが「返せ」
と言ってきました。お金に目がくらんだのでしょう。
紆余曲折ありながらも、Aさんは仕方ないとホテルを返します。集まったスタッフはAさんを慕って九州に来た人ばかり。Aさんがいなくなればほぼ全員がいなくなります。案の定、ホテルはコロナ禍もあり閉鎖しているそうです。
その後も九州で生活したいと、現在は別の場所に宿泊施設を営業しています。
子育ても非常に型破りで、「義務教育を学校で受けなくてはならない」という概念に囚われていません。ポルトガルに農業研修に行くときも、お子さん3人とご夫婦で3ヶ月以上行きました(もちろん学校に話して)。一番上のお子さんは中学生ですが(東日本大震災の少し前に生まれたお子さん)、今通信教育を受けながら起業してクッキーをインターネット販売しているとのこと。学校へ行きたくなければ行かなくても良し!(ただし勉強はする!)のスタンスです。子どもにとっては、自分を丸っと受け止めてくれる、頼れるお父さん、お母さんです。
若い方々が都会で働くのではなく、地方で心豊かに働き・暮らす・・・・・柔軟な若者が増えている印象です。都会で生活することが悪いということでなく、自分が暮らしやすいと思う場所で、自分らしく暮らす。固定概念に囚われず行動できる若者にエールを送るため、常識を突破できない世代は、行動的な若者が提供するサービスを使うことから始めましょうか。